誕生日を月命日にされた件
いろいろなところで言及してきたが、わたしの父はまったく本当にどうしようもないやつで、わたしの母や祖父母含め周囲に多大甚大な迷惑ばかりかけてきた人間だった。
DVや外に女をつくってそっちに入り浸りは序の口、家庭に金を入れたこともほぼない、やばいことに手を出し借金、祖父母の年金まで前借りさせていた(どうやったもんか)。
あげくわたしの母と祖母とを連帯保証人にしての借金でもう、母はとんでもない苦労をした。
その後、夜逃げして父と離婚が成立して──だのに現在に至るまで、母は父のことを悪く言ったことがほとんどない。
それはやつが「わたしの父」である事実が永劫変わらないからなんだろう。
わたし自身は年を重ねるたび、自分の善くない部分ばかり父に似ていると感じる折が増えているが、父への憎悪や恨みといったものはあんまりない。
母や祖母たちに父がした行いは許さないし、許されていいわけがないと捉えているが、わたし自身に対して父がしたことについては特段、どうとも思っていない。
けど、
「父親から愛されてまともに育った人」に対しては、
あー生きてる世界がまったくちげーな、という感覚が大きすぎる。
友人が結婚前に、
「お父さんが家にいない日(※出張とか、知人のご不幸とかで)はなんとなく不安」
と言っていて、そうか、父親が家にいないって普通の娘にとっては非日常で、普段頼りにしてる分いないと不安なもんなんだ……とカルチャーショックを受けたのをおぼえている。
父親なんて、家にいたらろくな目に遭わんしいたって何の役にも立たんし、と思っていたから。
そんな父とは、わたしが20代なかばの頃に会って以降、
そのまま会うことなく電話番号もわからなくなって互いに音信不通状態だった。
ただ、もしいよいよ父になんかあれば、役所から連絡来るだろう、とはずっと思っていた。
それが現実になったのが去年の6月。
某市の市役所からわたし宛で封書が来て、父が孤独死したっぽいこと、火葬やなんかは済ませたから、親族の誰かが遺骨遺品を引き取ったりかかった費用を払ったりしてくれ、という旨だった。
それを見た瞬間、「相続放棄しよ」と思った。
どうせ父のことだ、あるのは負債だけに決まっている。
また面倒に巻き込まれるのはごめんだった。
かかった費用を払うことは強制でなく、拒否すればほかの親族に打診がいくようだが、べつに身内全員が断っても問題ないそうだ。
父のきょうだいたちを思い起こし、もしかしたら父の姉が払うと言うかもしれない、とは思ったが、もう高齢で可能かわからないし(連絡をとっていないから生きているのかどうかも知らない)、
父の妹も、引き取りたい気持ちはあるかもしれないが配偶者が反対しそうだと感じた。
その後、どうなったかは知らないので、誰かが引き取ったか全員拒否したかわからないが、
わたし自身の中では、父の遺骨が身内に引き取られてご供養してもらえるようなことになんなきゃいいのに、という感情があった。
あんだけ人に迷惑かけといて、死んだからってそんな人並みに供養してもらえるなんてことになったら虫がよすぎる。
わたしが拒否したのは、実際にその時、費用負担できるだけの蓄えを持っていなかったのもあるが、
「そんな都合のいいことがあるとは父に思わせたくなかった」というのがでかい。
それで、相続放棄して。
手続きのために除籍謄本と戸籍の附票を取り寄せたら、父は再婚してまた離婚して、そして、誰かの養子になっていた。おおかた、また何かろくでもないことを企んでのことに違いない。
で、去年はほんとうに忙しく慌ただしかったのでそれきりもう父のことは考えもしなかったのだけど、
最近ふと、その役所から届いた書類を見直してみた。
そうしたら──
孤独死してあとから発見されているから、正確な死亡日時は不明なのだが、
父の推定の死亡日は、去年の3月7日 となっていた。
月こそ違うが、7日はわたしの誕生日の日にちだ。
何も、1円たりともわたしに遺してくれなかった父が、わたしの誕生日の日にちにくたばっていた。
なんでその日にしたんだよ、と嫌な気持ちがあった。
これからずっと、誕生日来るたんびに、なんなら毎月7日になるたんびに、その日に「父の月命日」という余計な付加価値がのっけられてしまった。
けど、ほんのわずかに、「父が7日に地上を去った」ことがうれしいような、その日その瞬間、父の魂はわたしのことを思い出したんだろうか? というような気持ちが、湧いた。
生命保険の受取金がわたし名義であるとかさ、そういうの最期にあったらめっちゃうれしかったけどさ。
そんなのなんにもなかったけどさ。
それでも、父がこの世を離れる日に7日を選んでいったんだとしたら?
それは、積極的に認めたくはないが間違いなく「うれしい」類にカテゴライズされる事象だった。
というより、こんなにも何ひとつ遺さないで逝って、命日さえわたしに無縁の日だったなら、それは「寂しい」に入ることだった。だから、そうじゃなかったんだとしたなら、それは、それよりかは、うれしい。そういううれしさだ。
今年の秋彼岸、お寺に行った折、こんな話を法話で聞いた。
人は、何度でもその人と「出会い直せる」のだと。
たとえ相手が亡くなっていても、その死に目に会えなくても、その人へ手を合わせ心に思うとき、幾度でも出会い直せる──のだそうだ。
それで先日、ひとりの日に、父へお線香をあげて、言葉を手向けてみた。
父さん。
父さんのことはわたしはこれからも許さないし、許されちゃいけないと思ってる。
死んだからって、仏になったからってそんな簡単に許されるほど甘くないよ。
けど憎んじゃいないし、べつに呪ってもないし恨んでもない。
だからさ、仏になったんだったらさ、もうこれからはわたしの味方になってちょうだいよ。
そんぐらいしたっていいべ、本当は生きてる間にそれやってほしかったけどそうもいかんかったから、これからでいいからさ、いいかげんわたしのこと助けてよ。
そんなことを口にしたら、ずいぶん涙が出た。
父が生きてた間には、この1%も言えなかった・言うわけもなかった言葉だ。
わたしは父に、悪い部分クズでカスな部分ばかりが似たし父はほんとうにどうしようもない人間だったが、それでも、わたしはずっとどこかで父が好きだった。
この「好き」は、父と距離があった分ちょっと危うい好きで、実の父でなかったら異性として惹かれていただろう感情だ。
父は善人ではなかったが、男として魅力のある人だった。
偽らず言うなら、抱かれたくなる男だった。
父は四柱推命で比肩と建禄を上下に2セット持ちながら、その胆力をいい方向にはまったく生かさず悪い面にばかり使って、どうしようもなかったが生ききったんだろう。
そう、思う。
これから、毎月7日にはお線香をあげる。昨日もあげた。
一切法事やなんかはしない代わりに、それは、続けようと思っている。
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